ここから本文です。
守山市の産業(さんぎょう)はどんなふうにおこなわれているのかな?
動画(どうが)でみると分かりやすいね
平成17年4月から9月にかけて市内のある米作農家を訪ねました。
平成17年6月15日にエリに向かう漁船に乗せていただきました。
かまぼこが伝統食品である事はよく知られていますが、その起源となるとよくは解明できないようです。そんな中で文献として最初に登場したのは平安時代の頃の「類聚雑要抄」という本です。この本の中に永久3年(1115)7月廿一町戌子、関白右大臣東三條へ移御のおりの祝宴の膳に蒲鉾が載っています。当時はちくわ状のものを蒲鉾としていたようです。この永久3年(1115)にちなんで、11月15日を蒲鉾の日としています。
当時はちくわ状のものを作っていたのですが、この形状が植物の蒲の花穂に似ており、この花穂が鉾に似ているところから「蒲の鉾」つまり蒲鉾となったというのが通説です。今日では蒲鉾と言えば、スケソウダラが主原料としてよく使われていますが、昔はどのような魚が原料として使われていたのでしょうか。
宗五大双紙(1528)という文献によれば「かまぼこはなまず本也、蒲の穂を似せたるものなり」とありますので、古くは鯰を原料にしていたと思われます。その後は、たい、こい、かれい、はもなどが高級品として使われていましたが、中にはイカ、アワビ、エビなども使っていたようです。魚の他の料としては、食塩、卵の白身、酒葛の粉などが使用されていました。
昔の製法は魚を包丁でおろし、身をこそげ取るようにかき取り、石臼ですり上げていたようです。現在とは違い、ずいぶん大変な仕事であったと思われます。蒲鉾の加熱方法は、焼き(ちくわ)に始まり、湯煮(はんぺん・つみれ等)蒸煮(かまぼこ等)油あげ(さつまあげ・ごぼう巻等)の順番で発展したらしいのですが、江戸時代中期には関東は蒸しが主体、関西は焼きが主体になったようです。現在もその傾向が続いているのも興味深いところです。